ワーホリアルLife

ワーホリアルLife

人に進められてオーストラリアにワーホリ来たら…どうにかなってるって話。

フィリピン、バギオ観光

私が留学していたフィリピンの

バギオの楽しみ方や文化などを

ざっくり紹介したいと思う。

先に言っておくが

バギオは留学にはおすすめだが、

観光にはおすすめしない(笑)
 
街の印象として、あまり綺麗ではない。

街並みも空気も汚い。

山なのに家が多くて、人が多い。


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見ての通り山に家が大量に立っている。

街中どこに行っても急な坂が多い。

その為自転車を乗っている人がいない。

そしてまるで

タイムスリップしたかのような日本との差。

車は軽油車ばかりで

とても空気が汚い。

渋滞してると排気ガスで咽るくらい臭い。

電気屋さんでは

テレビでしか見たことがないような

家電製品が売られている。

まず二槽式の洗濯機。

もちろんドラム式なんて1つも売っていない。

そして炊飯器。

周りが花柄のガスで炊くタイプのやつ。

完全に昭和時代に使われていた家電製品だ。

スマートフォンはみんな持っているが

Wi-Fiが無ければ使えないようで、

先生たちは携帯を2台持っていた。

平成初期に売られていたような

写真も取れないような携帯だ。

先生たちがスマートフォンWi-Fiスポットでしか

使ってない理由は、

通信料金が高額だからだと思う。

今のところ悪口しか言ってないが

私はバギオが好きだ(笑)

 

私は1度先生に給料明細を

見せてもらったことがある。

1ヶ月の給料が…

大卒初任給の手取りの5分の1くらいだった。

日本なら高校生でも3.4日で稼げる金額だ。

そう。私がフィリピンに到着して

1番驚いたのが物価の安さ。

スナック菓子50円

タクシー初乗り100円
バス16円

ランチ150円

ビール60円

3ヶ月間で私が食べた1番豪華な食事が

大晦日に食べたフルコースディナー

…1200円(笑)

とにかく何もかも安かった。

週末になると毎食のように外食に出かけた。

 

 

私の暮らしていたバギオには

セッションロードと言われる

2キロくらいに渡って

買い物や食事が楽しめる中心街がある。

日本でいうイオンのような

ショッピングモールが1つあって、

他にも百貨店やスーパー、

マックやスタバなどのチェーン店もある。
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買い物で困ることは特になかった。
もはや田舎から出てきた私にとっては
大都会に感じた←
お土産の購入におすすめなのが
パブリックマーケット。
ここでは安い食材を買えるうえに
たくさんのお土産屋さんがある。
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バギオはイチゴの産地として有名で
ここではいつもキレイに山積みにされていた。
店員さんはいつ見てもイチゴを積んでた。
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肉や魚も山積みで売られていて

(結構臭いけど)

とても海外らしいマーケットだ。
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街にたくさん走っているのが

ジプニーと言われるバスだ。
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これは同じ経路を1日中周り続ける。

行き先はバスに書かれており

走ってきたら目を凝らして

行き先を確認する。

そして手を上げたら止まってくれる。

自分の好きなところで乗り降りできるので

とても便利だ。

降りたいときにはとりあえず

「パラポー!!!」

と言えば止まってくれる。

タガログ語で「止まって下さい」

と言う意味だ。

値段は場所や行き先によって違うが

とりあえず8ペソ渡しとけば問題ない←

またこのお金の払い方が面白い。

バスに乗り込んでから

前方に座っているお客さんにお金を渡して

バケツリレー方式で運転手さんまで

乗客がお金を回すのだ。

運転手さんの真後ろに座ってしまうと

みんなから回ってきたお金を

肩をツンツンして

運転手さんに毎回渡さなければならないので、

その席はなるべく避けよう。

 


学校でほとんどの女性の先生が

毎朝髪の毛がビタビタの状態で出勤していた。

それは髪の毛を乾かす暇もないくらい

朝が忙しいわけじゃなかった。

「私、朝からシャワー浴びてきたで〜!

めっちゃ清潔やで〜!」

っていうアピールらしい(笑)

なのでデートの時も女性は

髪の毛が濡れたまま彼の元へ行くらしい。

 

 

人生始めてフィリピンで体験。

ゲイバーとストリップバー。

私が行ったのはゲイバーとストリップバーが

同じ店になっているお得なお店。

あっちこっち自由に移動出来て

男も女も楽しめる(笑)

と言っても、狭い客席に

お遊戯会のようなショボいステージなので

期待はしない方がいい。

入場料+ワンドリンクで500円。

そこから何時間でも滞在できる。

安すぎる。体安く売りすぎだ←

 


バギオには美味しいレストランがたくさんある。

私が滞在した3ヶ月間で

何度も通った店を厳選して紹介しよう。

 

「Canto」
https://goo.gl/maps/cxA8UaWxjLw

スペアリブが有名な店で

何時に行っても

常に人が並んでいる超人気スポットだ。

スペアリブ以外のメニューも

とても美味しい。

 

Perl Restaurant」
https://goo.gl/maps/H2vAEWcPAm42

ここは韓国料理サムギョプサルのお店で

韓国人の友達も絶賛するほど

美味しいサムギョプサルが食べられる。

 

「GRÜMPY JOE」
https://goo.gl/maps/zodjALztRsj

ここはピザのお店で

どのピザもとても美味しい。

夜は毎日のように行列ができている。

パスタを食べるなら

シーフードスパイシーパスタがおすすめ。

 

「Beanstalk」
http://maps.google.com/?cid=493739195923316875&hl=ja&gl=jp

ここは夜12時頃まで営業している為

夜ご飯の後によく行ったカフェ。

フィリピンのケーキはどこのお店でも

異常に甘いので

食べたいなら友達とシェアをおすすめする。

 

「Viscoz」
http://maps.google.com/?cid=11754433141518167234&hl=ja&gl=jp

異常に甘いケーキばかり売ってる中でも

ここのお店のケーキは美味しい!

中でもブルーベリーチーズケーキが最高だ。

しかしここにも異常に甘いケーキも

少し売ってるので気をつけよう(笑)

 

他にも紹介しきれていない店や

バギオから行ける観光地など

また今度書きたいと思う。

 

フィリピンのバギオにある語学学校へ留学

私がフィリピンのバギオという街で

3ヶ月間留学したときのお話。

 バギオとはマニラから

車で約6時間北にある街だ。

フィリピンの中でも山岳地帯にあり、

気候はとても涼しく

年中とても過ごしやすい街だ。

私は毎日ロングTシャツで過ごし

少し寒い日はパーカーを羽織って、

天気の良い昼間は半袖で出かけた。

私が滞在していた11月~2月は冬にあたり

平均気温が15~25度なのに先生たちは

「寒い、寒い」と

コートやダウンを着ていたのが面白かった。

バギオは学習しやすい気候のため

多くのフィリピンの大学があり

語学学校もいくつかある。

 

フィリピン留学と聞くとまずセブを

思い浮かべるだろう。

でもなぜ私がバギオを選んだのか…

それは私が英語を本気で身につけたかったからだ。

バギオは遊ぶところが少なく

フィリピンなのに海まで2時間。

厳しい門限。

韓国人ばかりの英語環境。

私は英語を勉強しなければならない

環境を作りたかった。

何故なら私は誘惑にかなり弱いタイプだからだ(笑)

海やクラブで遊びたい人、

毎日お酒を飲みたい人、

勉強も遊びも両立できる人、

セブ島に行った方がいいと思う。

なんせ私はフィリピンに3ヶ月いながら

海を2回しか見ていない(笑)

バギオ留学はスパルタのイメージが強いが

先生はみんなフレンドリーで

授業は楽しかった。

生徒も遊ぶときはパーっと遊んで

集中するときは集中する。

私はバギオ留学に行って

本当によかったと今では思っている。

 

私の通ったのは「A plus advance academy」

という語学学校だ。


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ここの学校は韓国人がオーナーで9割以上が韓国人だった。

私が滞在していた3ヶ月間は

80人くらい生徒がいた中で

日本人は平均6人くらいだった。

私はオーストラリアに行くことが前提だったので

オーストラリアでの留学も考えたが、

どう考えてもフィリピン留学のがよかった。

その理由は、全く英語のできない私が

生徒がたくさんいる大きな教室で

英語が身につくとは思わなかったからだ。

そのうえ学費と生活費を合わせたら

2倍近くの差が出てくる。

フィリピンなら安い値段で

マンツーマン授業が受けることができる。

私の学校では毎日6時間のマンツーマン授業と

2時間のグループクラス(3~4人)があった。

先生はみんなフレンドリーで、

言ってることが理解できてない私にも

嫌な顔せず丁寧に教えてくれた。

 

学校はまるでホテル生活のようだった。

部屋には毎日ハウスキーパーが入った。

洗濯も週に2回業者さんが取りに来てくれる。
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食事も土日を含み毎日3食提供された。

食事はバイキング形式でほぼ韓国料理。

毎日キムチが出てきた。

ひどい時は全ての食材が赤いこともあった(笑)

でも食堂のご飯は美味しかった。
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部屋は1人~3人部屋と値段は違うが、

自分で選べる。

私は2人部屋を選び、韓国人と同室になった。

私が学校に到着した日

部屋でスーツケースを片付けていると

韓国人が部屋に入っきて

「アニョハセヨ」とあいさつしてきた。

私はとっさに「アニョハセヨ~」と返したら

続けて韓国人は韓国語で話しかけてきた。

なので私は日本人だと伝えたら驚いた表情を浮かべていた。

そこで彼女は私に

「Do you like here?」と聞いてきた。

しかし私はこの英語が理解できなかった。

"here"が何かわからなかった。

そう。私はこんな状態で

海外留学に来てしまったのだ。

 

よく「英語ができない私が...」とかあるけど

私はみんなと"英語ができない"のレベルが違う。

マジで、できない。中1の英語もわからない。

そんな状態からのスタートだった。

今思うと全く英語話せないのに

なんで少しも勉強せず留学に行ったのか

不思議に思う(笑)

だって留学すれば英語を英語で説明されるので

英語を少しくらいわかっていないと授業にならない。

私は極端すぎるが

留学を考えている人は

少しでも勉強して現地に行ってほしい。

単語や文法なんて1人で勉強できる。

せっかくネイティブから授業を受けれるんだから

発音や会話などを勉強しに行ってほしい...

と言っても、私くらい英語できなくても

どうにかなったけど(笑)

 

そこでみなさんが1番気になるのが

その後3ヶ月で私の英語が

どれくらい伸びたかだと思う。

私の場合、

スタートのレベルが極端に低すぎて

参考にならないかもしれないが。

自分の実感としては...

生まれたての赤ちゃんが4歳に成長した(笑)

難しい単語はわからない。

難しい会話はできない。

でも感情を表したり、

軽い会話はできるようになった感じ。

1番伸びたのはリスニングスキルだ。

ゼロからのスタートだったが、

学校が始まってから2週間で耳が慣れて、

1ヶ月でみんなが話していることは

だいたい理解できるようになった。

卒業前には先生や友達に

「単語しか喋ってなかった小松が

今や文章を使って話してくる。」

「最初は何も理解していなかったのに

今は私の言ってることがわかっている。」

と誉めてくれた。

実際に現在、オージーと2人きりで生活できている。

もし留学に行ってなければ絶対に無理だっただろう。

 

もう1つバギオで有名な語学学校「J〇〇」。

ここはあまりおすすめしない。

友達がその学校に移動した為、

私は1度見に行ったことがある。

A plusに比べ部屋が綺麗で広く

食事のメニューも美味しそうだった。

しかし立地条件が悪い。近くにコンビニすらない。

バスの本数が少なく、いつもバス停に行列。

街から帰ってくるのに1時間くらい待つ必要がある。

何よりその友達が言っていたのが、

先生のティーチングスキルが低い。

そのわりに準備もしてこない。

そしてフレンドリーでもない。

これはその子が2つの学校を比べて

感じた印象なので

実際はわからないが、参考までに。

 

A plusもパーフェクトだったかと言われればそうでもない。

文句を言ってる生徒ももちろんいた。

しかし私は満足だった。

 

平日は午前8時~午後6時まで授業。

その後も深夜12時まで毎日自習をした。

みんなが頑張っているから私も頑張れた。

週末には旅行に行ったり

先生と食事に行ったりとても楽しかった。

この学校で生活したことは私にとって

忘れられない思い出となった。

 

カナーボンでファームジョブ開始

カナーボンに到着してはや1週間が過ぎていた。

友達から私へ連絡がきた。

「前のボスが働ける人を探している。

メロンの収穫だから男が良い。

誰か心当たりある?」

との話だった。私は即答で

「はい。私行きます。」

と言った←

「多分無理だと思うけど」と言われながら

私はボスの電話番号を教えてもらって

テキストを送った。

電話での英語が苦手だからテキストにした。

ただでさえ英語聞き取れないのに

電話だと本当に聞きづらい。

と言うか、もはや聞こえない。

 

でも案の定、数時間後にボスから

折り返しの電話がかかってきた。

ボスの声は典型的オージーのなまり方で

何喋っているか全くわからなかった。

彼はお喋りで色々喋ってたけど

私はダメそうな雰囲気を感じ取っていた。

でもとにかく

「仕事がしたいです!!」

「なんでもできます!!」

「体力に自信あります!!」

って連呼してた。

そしたら、

「明日の昼に迎えに行くから〜」

と…えええええー( ゚д゚)急展開。

そして電話を切られた。

しかし私は迎えに来てもらうことはわかったが、

何をするのか全く聞き取れていなかった。

そもそもダメだと思っていたし。

とりあえず翌日に働ける格好をして

お腹が空くとダメだから

昼前にガッツリ昼食を済ませてボスの迎えを待った。

 

そしてボスが迎えにきてくれて

ボスの家に着いてすぐに

「コレを切ってくれ」と私に野菜を差し出した。

まさか…

手早く正確に作業ができるテストか?!

とか考えながら私は丁寧に野菜を切った。

そして悪い予感はしていたが…

そう。

食事が完成した。

私たちはランチをとることとなった。

しかし私は既にお腹がいっぱい。

だが、食べた。

チキンにサラダにブレッド、

オマケに嫌いなオリーブまで。

腹がはち切れそうで

冷や汗も出てきていたが

私はとにかくウマイウマイと言って食べた。

まさか電話で「一緒にご飯を食べよう」

と言っていたのだろうか?(笑)

 

食事を済ませてボスは言った。

「英語が話せなくても

あなたが良い人間だと

私はこの短い時間でわかった。

言葉は重要ではない。

是非明日から来て欲しい。」

きたーー!!!

頑張って食べてよかったー\(^o^)/

ということで私はついにオーストラリアにきて

初めて仕事をゲットした。

 

そして私は翌日から仕事を始めて、

2日後には引っ越しをした。

暑い中私はメロンのピッキングをした。

日雇いのトンガ人と働いた。


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そしてボスは私の何を見込んだのか

「トラックター乗るか?」

と私にトラックターを運転させた。

初めてトラックターを運転したが

そんなに難しくはなかった。

さらに2日後、

私は大きなトラックターを運転させてもらった。


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フォークリフトが前後に付いていて

私の身長よりタイヤが大きいのだ。

「エアコン付いてるし最高だろ?

これ150.000ドルするんだよー!

今まで誰にも運転させたことないんだー!」

いやいや、じゃあなんで私には運転させる(笑)

と思いながらも私は嬉しかった。

フォークリフトなんて乗ったことなかったから

とても難しかった。

しかし私はボスの期待に答えられるように

必死に運転した。

 

私の越してきた部屋は週100ドル。

部屋にすべてが整っている。
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レントは安いし全て自分だけで使える。

とても最高だ。

しかし大きな問題がある。

Wi-Fiがないことだ。

そしてここでは私が使っていた携帯キャリアの

Optusの電波が入らなかった。

なので引っ越す前にテルストラと同じ回線の

ブーストにキャリアを変えたのだ。

 

ブログを始めて1週間。

私はネット環境の悪さという大きな問題を抱えた。

正直今もギリギリ電波1本立っている状態なので

更新できるのか不安である。

ただとにかく時間を見つけては

ブログを書き溜めて行こうと思っている。

 

明日も朝7時からマンゴーの木の手入れだ。


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カナーボン到着

私はパースから北に約1000㎞ある街

カナーボンに到着した。

パースからここまでは夜行バスで13時間かけてきた。

もちろん飛行機でも来ることはできるが

お金も高いし飛行機に乗るのは

めんどくさかったので夜行バスを利用した。

私はバスにはよく酔うほうだが

全く酔うことはなかった。

なぜならパースからカナーボンまで

ほとんど曲がり道がなければ

カーブも信号もないからだ。

 
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カナーボンに到着したのは街のメイン通り。

しかし何もない。

「すごいところに来てしまったな」

と思った。

 
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ヤシの木でリゾートの雰囲気出しているが

本当に何もない(笑)

 

私はシェアハウスのオーナーに

ピックアップしてもらい

シェアハウスに向かった。

しかしここで問題が起こった。

オーナーはたくさんのシェアハウスを持っているが

今はどこも空きがないと告げられ

別のシェアハウスのリビングに連れて行かれた。

2日後に部屋が空くため

それまでこのソファーで寝て欲しいと言われた。

部屋が空いていると言われてカナーボン来たのに...

こんなプライベートゼロの環境でレントを払うのか...

と思いながらも2日間なので我慢した。 

しかし2日後になってオーナーはこう言った。

「部屋は空いたが、

その部屋はシャワー付きの良い部屋なので

他の部屋より週20ドル高い。

普通の部屋は2週間後に空く。

だからあと2週間ここに住んだ方が良いと思う。」

...いやいや待って。

そんなの前からわかりきっていただろうに

なぜ今になって言うんだ?!!と思ったが

私はグッと我慢した。

なぜなら現時点でここに暮らすしかなかったし、

仕事してないのに無駄なレントも払えないし、

何よりオーナーに仕事を紹介してもらえる

可能性があったからだ。

 

そのシェアハウスには韓国人が3人と

イタリア人のカップルが暮らしていた。

そして違うシェアハウスから

肌がかなり黒くてヒゲの生えた

日本人が遊びに来ていた。 (以下黒ひげ)

黒ひげは私くらい英語が喋れてなかったが

片言の英語でガンガンみんなに話しかけていた。

私はオーストラリアに来てから

英語の自信を失っていた。

私はきっといつも自信のない英語で不安そうな顔で

店員さんに話しかけていた為

それが向こうに伝わっていたのか

簡単な単語さえ伝わらないことが多かった。

 

しかし黒ひげを見て私は

英語ができる、できないじゃなくて

話したい伝えたい

と言う気持ちが重要だと思った。

周りのみんなは黒ひげが言っていることが

片言だろうと文法がバラバラだろうと

嫌な顔せず汲み取って理解してくれてた。

それを見てやっぱり私は英語環境で

暮らさなければならないと改めて感じた。

 

 

このカナーボンでファームの仕事を探すには

車が必要になってくる。

街からファームのエリアまで10キロ以上あるので

自転車があればどうにか行けるかもしれないが

この炎天下の中では徒歩は不可能に近い。

自転車でも乗り慣れてる人じゃないと

厳しいだろう。

 

そこでシェアハウスにいた

1人の韓国人が私をファームまで車で

連れてってあげると言ってくれた。

(コメディアンのチョン・ヒョンドンに

雰囲気が似ている為、以外ヒョンオッパ)

ヒョンオッパはギリホリでオーストラリアに来て

約1年と8ヶ月。

ほぼカナーボン近郊で暮らしている

カナーボンのベテランだ。

彼がとても面白くて良い人だと言うことは

すぐにわかった。

そして私はヒョンオッパの車に揺れ

ファームのエリアに到着した。

しかし「No work」「No job」

という風にたくさんのファームの入り口に

「仕事ないよ~」

と大きな看板が置かれていた。

ヒョンオッパが言うには

「まだ野菜の収穫シーズンが始まっていない。

2週間~1ヶ月待てば仕事は見つかる。」

とのことだった。

そしてヒョンオッパはバナナならあるかも。

とバナナのパッキング工場に行ってくれた。

レジュメは受け取ってくれたものの

「今日だけでも5人レジュメを渡しに来たわ」

と言っていた。

他にもホテルやモーテルなど

ファーム関係なくヒョンオッパは

とりあえず色々と回ってくれた。

そしてテンション下がってる私に

その日に美味しい夜ご飯も作ってくれた。

 

いつ仕事が見つかるかわからないけど

なんかそのうち見つかる気がする。

どこから来るんだその自信は

って感じだけど...

私はそのうちすぐ見つかると思う(笑)

早く炎天下の中

ピッキングしたり草抜きしたい。

そしてこのリビングから早く移動したい(笑)

 

パースからすぐ!ロッキンハム、ペンギンアイランド、バッセルトン日帰り観光

私はバッセルトンへ

広末涼子似の永住者の方を誘って観光に行った。

(以下涼子さん)

涼子さんを含め何人かの永住者に

バッセルトンは絶対に行った方がいい!

と言われていて、

私はパースを離れる前にバッセルトンに

どうしても行きたかったのだ。

 

私たちは朝からロッキンハムに向かった。

目当てはペンギンアイランド

ペンギンアイランドでは自然の

ペンギンやアシカやイルカなどが見れる(らしい)。

島には飼われているペンギンもいるので

私たちは飼われているペンギンの食事の時間と

船の時間を調べて現地に向かった。

船は1時間に1度出ているが

潮が満ちている時は島まで歩いて行くことができる。

私たちが滞在していた時間も水は腰くらいだったので

歩いてペンギンアイランドに行く人を数名見た。

 

島の面積はとても小さくて、ゆっくり回っても

1時間くらいで1周できてしまう。

私が行ったのは少し肌寒い季節だったので

泳いでいる人はいなかった。


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歩きながら注意深くペンギンがいないか

見ていたが、いなかった。

そもそもいる雰囲気が全くなかった。

ただ綺麗な海を見れてとても満足した。


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そして飼われているペンギンたちの

お食事タイム。

ペンギンの数が少なくて笑った。

日本の動物園や水族館をイメージしていたら

全く違った。
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餌をあげながら30分ほど

ペンギンや島の説明をしていた。

英語だったのであまり説明を理解できなかったが

ペンギンは夜に来る...らしい。

それは昼間に見れるはずがない(笑) 

 

そして私たちはペンギンアイランドを後にし

ロッキンハムの海沿いでランチを食べた。

ロッキンハムのビーチもとても綺麗だった。
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ロッキンハムを出発してから約2時間

私たちはついにバッセルトンに到着した。

このバッセルトンの桟橋は

千と千尋の神隠しのモデルになったと

言われている。

 

私が小学生の時に千と千尋の神隠し

映画館に見に行った時は

とても衝撃を受けたことをよく覚えている。

こんな世界がどこかにあるのではないかと

本気で思ったりしていた。←どうでもいい

 


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みなさんよくご存知の

千とカオナシたちが銭婆のところに行くときの

あの電車のシーン。

こんな感じ…だったかな?笑

 

このバッセルトンの桟橋は

先端まで約2キロ。とてつもなく長い。

西オーストラリア州の中で最長の桟橋だ。

私たちはゆっくりと歩き始めた。


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綺麗な海にかかる桟橋。真っ直ぐに進む線路。

なんて素敵な場所なんだ。

是非彼氏と来たい場所だ。

まず彼氏を作らなければ...

 

そしてここでは入場料と別に

追加でお金を払えば電車もにも乗れる。

この電車はとてもゆっくりで

東京の人間の歩くスピードと

変わらないんじゃないか

というくらい遅い(笑)

子連れや老人の利用者が多かった。
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涼子さんが必ず見てほしいと行ったのが

バッセルトンの夕陽。

そして私はバッセルトンの夕陽を見て

私もみんなに言いたい。

絶対に見に行って欲しい!!!!


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日が沈んで10分後、

空も水面も全てが赤く染まった。

今までインド洋で見た夕陽もとても感動したが

この時は格別だった。

泣けてくるくらい綺麗だった。

私はなんて幸せ者なんだ、

めっちゃ贅沢しているな、

オーストラリアに来てよかったと思った←大袈裟

 

時間やお金に余裕がある人はぜひ

少し先にあるマーガレットリバーまで

足を伸ばして欲しい。

そこにはワイナリー、チョコレート工場、

鍾乳洞などがある。

(↑涼子さんいわく"しかない")

 

まだパース付近で行っていない観光地が

たくさんあるけど

私はまたいつかパースに帰って来て

みんなで行けたらいいなと思った。

 

この旅の帰り道に

パースを離れることが決まっていた私に涼子さんが

 

「今までたくさんのワーキングホリデーの人を

見送って来たけど、

あまり寂しいと思ったことはない。

そしてもう会わないんだろうな

っていつも思っていた。

でも小松がパースを去るのは寂しい。

あと小松とはまたどこかで会える気がするんだ。」

 

と言ってくれた。私はとても嬉しかった。

私は「また必ずどこかで再会しましょう」

と涼子さんに言った。

この2日後に私は涼子さんに見送られ

パースを去った。

パースから車で行くピナクルズ観光

パースから車で約2時間半で行ける

有名な観光地ピナクルズに行った話。

1人が午前中に用事があったので

昼頃にレンタカー屋に向かった。

全てのレンタカーが出払っており

私たちは3件目でやっと

車をレンタルすることができた。

後で知ったが、どこのレンタカー屋でも

事前にネット予約ができたらしい。

 

そして私たちは24時間無制限保険込で

103ドルで車を借りることができた。

この時にはもう午後4時ごろになっていた。

普通なら行くことを諦める時間だが、

1人が翌日に帰国しなければならなかった為

今日に行かなければならなかった(笑)

 

もう夕方だったのでパース周辺は

車が混雑していた。

しかし街を抜けると怖いくらい車通りがなくなった。

そして広がってきたのは360度の地平線。

地平線まで続く道。


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シティーばかりで遊んでいた私は

ここにきて1番オーストラリアらしい景色を見た。

そしてここは大陸だったんだ!!

と実感した。

途中でカンガルー、ハリネズミエミュー

飛び出し注意の看板が出てきた。

「カンガルーは夜行性だから

飛び出してくるのは珍しい」

「もしカンガルーを引いたら

ポケットに赤ちゃんがいないか確認する」

「でももしお母ちゃんが死んでなかったら

自分が殺されるんじゃない...?」

なんて話しているうちに

大きなカンガルーが車の前を横切った。

初めてのカンガルーに私は興奮した。

距離があったのでよかったが

改めて気を引き締め運転に集中した。

やがてみんなお腹が空き始めた。

が何時間も同じ景色で、

コンビニもなければ家すらない。

無知な人ばかりだったので

誰も何も食べ物を持っていなかった(笑)

 

私たちはピナクルズに行く途中にある

ランセリン大砂丘の近くまで来た。

ここは必ずピナクルズとセットで観光して欲しい。

しかし日が暮れるまでに

ピナクルズに行かなければならなかった私たちは

泣く泣くランセリン大砂丘をスルーした。

 
そしてパースから車で走ること約3時間。
私たちは日が沈むギリギリに
ピナクルズへ到着することができた。


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きたー!すげぇー!念願のピナクルズー!

 


大昔ここには植物があって
その根っこの間にできた物体が

雨やら風やらで風化して残った...
らしい。
詳しく知りたい人はググって下さい←


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とにかく
2,3メートル上まで地面があったと
考えると信じられない。
想像もつかないような長年の月日を経て
この形になったのがわかる。

 

ピナクルズは車で回ることもできる。
途中で駐車スペースがたくさんあるので
そこに止めて撮影をしよう。


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たとえ暗くても車のハイライトなどで照らせば

いい感じに撮影できる(笑)

 

そして私たちは30分ほどピナクルズを楽しんで

お腹が空いたお腹が空いたと言いながら

また3時間かけてパースへ戻った。

 

皆さんは

事前にレンタカーを予約し、

時間に余裕を持って、

食料を充分に用意して、

ランセリン大砂丘にも寄って

ピナクルズ観光を楽しんで下さい。

フリーマントルでの生活



私はパースに1週間滞在しその後

フリーマントルに移動した。

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私は日本人オーナーの家にフリアコで滞在した。

フリアコとはフリーアコモデーションの略で

家のお手伝いなどをする代わりに

タダで住み込みができるというシステムだ。

仕事をしていない私にとってフリアコは

とても魅力的だった。

 

私に任された仕事は10日間

オーナーが海外出張に行っている間に

犬の世話と掃除をすることだった。

1日2時間仕事をすることで家賃が無料になった。

しかし私はオーナーが海外出張から

帰って来てからも

そこに滞在することができた。

なぜならオーナーが

「仕事見つかるまで、滞在してていいよ」

と言ってくれたからだ。

私はその言葉に甘えて

結局そこに1ヶ月滞在することになった。

 

オーナーはペンキ塗りや掃除など

いつも私に何かしら仕事を与えてくれた。


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何もやらない日もあれば6時間働く日もあった。

それはオーナーが決めるのではなく

私に決定権があった。

予定がある日はやらない。

元気のある日は長時間働いた。

 

「いつも作りすぎてしまうんや」

と独り身のオーナーはワザとなのか

4~5人分のご馳走を作り

私に振舞ってくれた。

翌日も余ったものを食べさせてもらっていたし

本当に何から何までお世話になった。

 

そこでは家の自転車を自由に使えたので

私は毎日のように

図書館に行ったりビーチに行っていた。


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私はパース近郊でファームジョブを探していた。

まだセカンドビザを取得するかは決めていないが

とりあえず先に条件だけクリアしようと

思っているからだ。

パースから少し足を延ばせば

マーガレットリバー、ジンジン、バンバリーなど

ファームジョブが有名な地がいくつかある。

でも秋らしくなってきたパースでは

ほとんどがシーズンオフに入り

私はなかなか仕事を見つけることができなかった。

ここで私はなぜファームのシーズンを確認せず

あみだくじでここに来ることを決めたのか

自分を問いただした(笑)

 

私がオーナーから聞いたのは

この時期に入るとワーキングホリデーの人は

北にあるカナーボンと言う街に移動する・・・

カナーボンとはパースの北約1000キロ先にある

ファームが有名な田舎町だ。

私はせっかくパースに来たので

数時間でパースに行ける場所を求めていた。

田舎出身の私はパースが大都会に感じていたので

ド田舎なんかに移動したくなかった。

しかし後に私は腹をくくり

カナーボンへの移動を決めることとなった。

 

 

 私はパースでたくさんの日本人永住者に出会った。

オーストラリアでの知恵や遊び方を

教えてもらったり、

美味しいレストランにも連れてってもらった。

私はいずれここを去る人間なのに

みんな本当に仲良くしてくれた。

 

私がパースを去る時、

「行ってらっしゃい」

「いつでも帰っておいで」

とみんなが言ってくれた。

オーストラリアで私に“帰る場所”ができた。

オーストラリアに来て初めての移動だったが

少し寂しかった。

永住者と仲良くなるとまた戻って来たくなるから

ダメだなと思った。

そしてこれからも出会い別れを繰り返し

毎回こんな想いをするのかと考えたら

少し嫌になった。

でも私はみんなとの再会を誓った。

 

そして私はパースから13時間バスに揺られ

カナーボンという街に到着した。


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